俺が「適正価格」を知らなかった14年——足場職人とお金のリテラシー

「職人は技術で食うもんだ。値段交渉なんて野暮なことをするな」

足場の世界に入ったとき、先輩たちはそう言った。俺もそれを信じた。仕事がうまくなれば、自然と評価される。評価されれば、金もついてくる。そういうもんだと思っていた。

でも俺の場合、その考え方が14年間の損失につながった。

20歳でこの業界に入って、34歳で関係が深かった下請けを抜け出すまでの14年間。俺は「適正価格」というものを知らなかった。いや、正確には「知っていても、動けなかった」のかもしれない。職人の世界では、金の話を自分からするのがなんとなくダサいとされていた。それが一番の問題だったと、今なら言える。

目次

足場業界の「当たり前」が、実は異常だった

足場工事の単価には、業界の相場がある。国交省が毎年出している「公共工事設計労務単価」を見ると、2026年3月適用分で、全職種の全国平均が初めて2万5千円を超えた(25,834円)。これは14年連続の上昇だ。足場職人(とび工)はこの平均より高く、全国でおおむね3万円前後とされる。

では、俺が実際に受け取っていた金額はいくらだったか。

具体的に言う。新築2階建て・建坪30坪・床面積100㎡ほどの現場で、先行足場の設置から解体まで全部やって、手にしたのは5万円以下だった。

その5万円という金額にも、業界特有の慣習があった。

2人で午前中に足場をかけて、午後から別の現場の足場をばらす。それが1日でできれば5万円、という暗黙の相場だった。事業者の計算はこうだ。「2人に日当1万5千円ずつ払っても2万円残る。いけるやろ」。

だが現実はそうはいかない。2人に3万円払って、残り2万円から車両・燃料・保険の経費を引けば、手元にはほとんど残らない。しかも午前かけ・午後ばらしがきれいに決まる日ばかりじゃない。段取りが狂えば5万円に届かない。その逆、つまり5万円を大きく超える日は、ほぼなかった。

上振れはなく、下振れだけがある。それが下請けの現実だった。

さらに言う。先行で足場を組んだ後、上棟が終わると仕上げに戻る工程がある。これが実質タダだった。5万円以下の中に全部含まれている扱いで、移動の燃料代も、その日動いた人間の人件費も、全部こちら持ちだ。元請けの言い分はこうだった。

「他の現場の合間に行けばいいだけだろ」

その言葉に、俺は何も言えなかった。合間に行く燃料代は誰が払うのか。合間に動く人間の時間は誰のものなのか。そういう計算を、当時の俺はしていなかった。いや、できなかった。

今の下請けの一人親方が実際にいくら受け取っているかは、俺には正確にはわからない。

表向きの労務単価は14年連続で上がっている。

それが現場の下請けにまで届いているかどうか、俺が現役だった頃よりも良くなっていることを願っている。

ただ、構造が変わっていないとしたら——上振れはなく、下振れだけがあるあの現実が今も続いているとしたら——それはやっぱり誰かが声を上げないといけない話だと思っている。

ただ、ひとつだけ、俺が現役だった頃には無かった動きがある。2025年12月、改正建設業法が全面施行され、「標準労務費」という国の基準ができた。著しく低い労務費での見積もりや契約は、法律違反になった。「単価を上げるしかない」という当たり前のことを、ようやく国が認めた形だ。ただ——これが本当に末端の一人親方まで届くかは、まだ分からない。(→足場の法改正と現場のリアルはこの記事に書いた)

問題は、これが「特別に悪い元請け」の話ではなかったことだ。業界の中では、それが普通だった。

知らなければ、比べられない。

比べられなければ、低く買われていることにも気づけない。

これが足場業界の下請け職人が陥りやすい最初の罠だ。

「仕事がある」=「適正価格」ではない

下請けをやっていると、仕事が途切れないこと自体に安心してしまう。毎月、毎日現場が入る。稼ぎがある。それで「うまくいっている」と錯覚する。

俺もそうだった。売上だけ見れば月に数百万円を超える月もあった。だが経費(車両・資材・燃料・保険)を引いて、人件費を払うと、手元に残るのは驚くほど少なかった。(一人親方の経費と手取りのリアルは、この記事に詳しい

正直に言う。当時の俺は「手元に残る金額」を月単位で把握していなかった。売上を見て「稼いでいる気」になっていた。

売上と利益は違う。総額と手取りは違う。

この当たり前のことを、職人仕事に集中するあまり見落としている人間が業界には多い。

適正価格を知らないまま続けると、何が起きるか

相場より低い単価で仕事を受け続けると、3つのことが起きる。

まず、体が先に壊れる。

単価が低いぶん、工期を短縮するか件数を増やすしかない。

無理な現場を続ければ、身体への負担は増す。

俺は最終的に現場での事故で廃業した(廃業の前にやるべき手続きは、ここにまとめた)。

すべてが単価のせいとは言わないが、無理な現場を続けていたのは事実だ。

次に、元請け依存が深まる。

これが根深い。

安い単価でも「仕事があるから」と受け続けると、そこ以外の仕事ルートを開拓する余裕がなくなる。気づけば一社依存になり、そこを失ったら終わりという状態になる。

そして最後に、単価を上げるタイミングを永遠に失う。

「来月から単価を見直してほしい」と言える関係性が、低単価を受け続けることで作れなくなっていく。

言い出せない空気が出来上がる。これが14年続いた俺の実態だった。

転機——「あの数字」との出会い

転機は、廃業後だった。

体を壊して現場を離れ、はじめて自分の収支を冷静に振り返る時間ができた。同時に、国土交通省が毎年発表している「公共工事設計労務単価」という資料の存在を知った。職種ごとの標準的な日当が載っているデータで、誰でも調べられる。

そこに書いてある数字を見て、俺は止まった。怒りでも悔しさでもなく、最初に来たのは妙な静けさだった。「知らなかっただけか」——そう思った瞬間、14年間の全部が腑に落ちた。誰かを恨む気にもなれなかった。知ろうとしなかった俺が、一番の問題だったから。

14年間、俺は損をし続けた。ただ正確に言えば、相場を「知らなかった」だけじゃない。途中からは知っていた。でも動けなかった。単価を上げると言い出せば仕事が切られるかもしれない。元請けとの関係が壊れるかもしれない。そのリスクを取れるほど、俺には余裕がなかった。知識より先に、逃げ場がなかったのだ。

これは誰かが特別に悪い、という話ではない。業界全体の構造として、単価情報が一人親方に届きにくい仕組みになっている。情報を持っている側と持っていない側の非対称が、長年続いているのが建設業界の現実だ。

現場を回している元請けの人へ

ここまで下請けの視点で書いてきた。でも最後にひとつだけ、発注する側——元請けの人にも、伝えたいことがある。

昔は「合間に行けばいいだろ」「2人で5万でいけるやろ」が”普通”だった。でも、その”普通”は、もう普通じゃなくなりつつある。

  • 「建設業だからフリーランス新法は関係ない」は誤解だ。2024年11月施行のフリーランス新法は業種を問わず、一人親方への発注にも適用される。一方的な単価の引き下げや、相場より著しく低い報酬は「買いたたき」として禁止行為になっている。
  • 2025年12月の改正建設業法でも、著しく低い労務費での契約は違反になった。「標準労務費」という国の基準もできた。
  • 報酬の支払期日や、取引条件を書面で示すことも、今は発注側の義務だ。「言った言わない」「あとから値切る」は、通らなくなっていく。

でも、本当は法律の話がしたいんじゃない。一番言いたいのは、ここだ。

安く買い叩いた先に起きるのは、職人の事故と、離反だ。単価を削れば、職人は工期を詰め、件数を増やし、無理をする。その無理は、いつか誰かの体で払われる。俺がそうだった。そして、安く扱われた職人は、いつか黙って去る。残るのは、誰も来なくなった現場だ。

職人を安く・雑に使うことは、もう”得”じゃない。法的にもリスクになり、人手の面でも自分の首を絞める。適正な単価は、コストじゃない。現場を続けていくための投資だ。現役の頃の俺を安く買い叩いた元請けに、本当はこう言いたかった。だから今、ここに書いておく。

偉そうに書いたが、白状する。俺自身も、同じことをやった側だ。

現役の頃、人手が足りなくて、ベトナムから来た若い職人を安い条件で使ったことがある。言葉も不自由な中で現場に来て、汗を流してくれた。なのに俺は、彼を”安く使える手”としてしか見ていなかった。きちんと向き合わず、待遇も雑なままだった。

ある日、彼は来なくなった。失踪、という形で。

最初は彼を責める気持ちがあった。でも時間が経って気づいた。悪かったのは、彼じゃない。安く・雑に扱った俺のほうだ。日本人だろうがベトナム人だろうが、関係ない。安く買い叩かれ、雑に扱われた人間は、黙って去る。俺が元請けにされて嫌だったことを、俺はそのまま、立場の弱い彼にやっていた。

だから俺は、元請けを一方的には責められない。この構造は、安く買われた人間が、さらに弱い誰かを安く買う——その連鎖でできている。どこかで、誰かが止めないといけない。

今の俺が、当時の俺に伝えるとしたら

廃業後、障害を負い、何もなくなった状態から俺は高配当株投資を始めた。2022年末に131万円しかなかった資産が、2026年には約4,200万円を超えた。年間の配当も、2026年には税引前で約121万円(税引後でも100万円超)に育った。

「お金を学ぶ」ということを、俺は廃業してから初めて本気でやった。それまでは技術と体力だけで乗り切ろうとしていた。働けなくなってから気づいたお金の話は、こちらにも書いた。

今、独立を考えている職人や、下請けとして働いている人に伝えるとしたら一つだけだ。自分の単価を、一度だけ相場と比べてほしい。国交省の労務単価は誰でも調べられる。自分の都道府県の平均と今の単価を比べるだけでいい。それだけで、今自分がどこに立っているかが見える。

俺は当事者として書いた。職人の世界に正解を押しつけるつもりはない。ただ、14年間「適正価格」を知らなかった男が、書いておきたかった。

→ 元請けと下請けの力学——単価が決まる仕組みや偽装請負の実態については、指南書②——元請けと下請けの力学でより詳しく書いた。

📖 俺のこれまでの全記録を読みたい人へ
元職人→廃業→障害→どん底→投資で4,000万円——
この軌跡を一本のストーリーとしてまとめた
それでも俺は生きている ― ヘタな仮設屋の、笑えるけど刺さる30年 ―」をnoteで公開中です。
note: hetagorilla

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この記事を書いた人

元・建設業の個人事業主。現在は障害年金・労災年金・就業不能保険を活用しながら、配当金を軸に“無理のない自立生活”を目指す50代男性です。
配当投資、住宅ローン、保険の見直しなど、障害と向き合う中で学んだ「お金と生き方」のリアルを発信しています。

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