① ある日突然、廃業する”側”になった
廃業なんて、いつか自分で決めるものだと思っていた。
体が動くうちに、ある程度の歳になって、「そろそろ畳むか」と自分のタイミングで店じまいする。たぶん多くの一人親方が、漠然とそう思っている。俺もそうだった。
でも違った。俺の場合、廃業は「選ぶ」ものじゃなかった。
6メートルの高さから落ちて、脊髄をやった。あと1センチで動脈だったと、後から医者に言われた。気づいたら病院のベッドの上で、足場のことも現場のことも、何ひとつ自分で動かせない体になっていた。
廃業は、いつか自分で選ぶものだと思っていた。事故は、その選択肢ごと奪っていった。
入院中のベッドの上で、天井を見ながら俺は悟った。もう現場には戻れない。20歳で足場の世界に飛び込んで、27歳で独立して、2人から10人体制まで会社を大きくした。その全部が、落下した一瞬で終わった。
畳むしかない。頭ではわかっていた。でも体が動かないまま「畳む」と決めるのは、想像していたどんな廃業とも違った。
② 正直に言う。俺は特別なことは、何もできなかった
最初に断っておく。
この記事は、完璧な廃業手続きガイドじゃない。税理士が書くような、抜けのない正解集でもない。無知でバタバタして、期限に間に合わず、結局あとから損をした俺の記録だ。
なんでわざわざ恥を書くのか。
俺がネットで「廃業 手続き」と調べたとき、出てくるのは士業の先生がきれいにまとめた完璧なチェックリストばかりだった。正しい。正しいんだけど、心に入ってこなかった。動けない体で、迫る期限に怯えて、頭が真っ白になっている人間の気持ちは、どこにも書いていなかったからだ。
俺が欲しかったのは、完璧な専門家じゃなかった。同じところでつまずいて、同じように悔しい思いをした、同じ目線の当事者の声だった。
だから書く。失敗ごと、全部。
③ 俺が実際に通った手続き(と、つまずいた場所)
ここからは事実の話だ。廃業のときに必要になる手続きを、俺が知らずに焦った順に並べていく。書類名や期限は、いま現在の制度であらためて確認した。
税務署に出す書類
廃業届(個人事業の開業・廃業等届出書)
これがメイン。正式名称は「個人事業の開業・廃業等届出書」で、事業を廃止した日から1ヶ月以内に税務署へ出す。罰則はないが、出さないと税務署から確定申告の案内が届き続ける。
俺の場合、この届を出してくれたのは妻だった。入院中で動けない俺の代わりに、妻が税務署に走った。
ちなみに、ひとつ笑い話を。俺はこの廃業届を、ちゃんと出した。なのに——出してから去年まで、廃業して9年目に入る去年まで、毎年、廃業したはずの屋号で確定申告の書類が税務署から届き続けた。
最初に届いたときは焦った。「廃業届、ちゃんと出してますけど?」と税務署に電話した。返ってきた答えは「すみません、手違いでした」。……その”手違い”が、そこから8年続いた。去年、ようやく来なくなった。笑
届を出した側でも、これだ。だから、もしあんたが廃業届を出したのに書類が届いても、慌てなくていい。それはたぶん、向こうの手違いだ。
青色申告の取りやめ届出書
青色申告をしていたなら、これも必要になる。期限は、やめる年の翌年3月15日まで。廃業届と一緒に出すと手続きが効率化できる。
……と、いま俺は偉そうに書いている。だが正直に言う。当時の俺は、青色の取りやめ届のことなんて、頭の片隅にもなかった。妻が何をどこまで出してくれたのか、今でも正確には覚えていない。それくらい余裕がなかった。
消費税の事業廃止届出書
消費税の課税事業者だった場合だけ。速やかに提出する。免税のままだった人は関係ない。
給与支払事務所等の廃止届出書
従業員や専従者給与を払っていた場合だけ。廃業から1ヶ月以内。
⚠️ ここで俺が一番つまずいた——「予定納税」の落とし穴
これが、この記事で一番伝えたい手続きのひとつだ。
予定納税というのは、前年の所得をもとに、今年の所得税を先払いさせられる仕組みだ。前年バリバリ稼いでいた俺は、当然その対象だった。
問題はここから。廃業して今年の所得が激減するなら、「予定納税額の減額申請書」を期限までに出せば、その先払いを減らしてもらえる。期限は、第1期・第2期の両方なら7月15日まで、第2期のみなら11月15日まで。
俺は、これに間に合わなかった。
入院していたこと、そして正直に言えば「畳む」と腹をくくることに抵抗があって、ベッドの上で迷っているうちに、期限が過ぎていた。
しかも当時、障害年金も労災の年金も、まだ何ひとつ確定していなかった。つまり、入ってくる金はゼロだ。収入が一円もない状態で、前年バリバリ稼いでいた頃を基準に計算された税金の請求が届いた。あの通知を見たときは、さすがに体が震えた。
動けない体で、本来なら払わなくてよかったはずの税金を、いったん満額払う羽目になった。
もちろん、最終的には翌年の確定申告で正しい税額が計算され、払いすぎた分は還付された。金は戻ってきた。でも、生活に一番金がいるどん底の時期に、まとまった額を一度税務署に預けることになった。あの時期のあの金は、本当に重かった。
知っていれば防げた。動けていれば間に合った。でも、知らなかったし、動けなかった。
労災・国保はどうなる
労災(特別加入)の脱退
一人親方として労災に特別加入していた人は、これも自動では切れない。「特別加入脱退申請書」を、加入手続きをした労働保険事務組合経由で出して、承認を受ける。俺の場合は、組合の人が動いてくれて助かった。労災と障害年金まわりは別記事に詳しく書いたので、そっちも読んでほしい。
国民健康保険は”切り替え”不要
ここ、誤解しやすい。一人親方はもともと国民健康保険に入っている。だから会社員の社保みたいな「切り替え」は要らない。むしろ翌年は、廃業で所得が下がる分、保険料も下がる。知らないと「何か手続きを忘れてるんじゃないか」と無駄に焦る。俺がそうだった。
(※建設国保=組合の国保に入っていた人は別。建設業に従事していることが前提の保険なので、廃業で資格を失い、市町村の国保への切り替えが要る場合がある。自分がどっちか、確認しておくといい)
④ 誰も教えてくれなかった「お金」の話
ここからが、この記事の核だ。
手続きは、調べればなんとかなる。でも誰も教えてくれなかったのは、「廃業したあと、何で食っていくのか」という金の話だった。
手元に残った約2,000万円
廃業して、現場も、会社も、職人としての自分も、全部失った。何もなくなったと思った。
でも、ひとつだけ残っていたものがあった。手元に、約2,000万円の現金があった。
ただ、正直に言っておく。これは、俺がコツコツ貯めた立派な貯金なんかじゃない。事業を回すための運転資金が、廃業でそのまま手元に残っただけだ。材料費や人件費、現場を回すために必要だった金が、行き場をなくして口座に残った。それだけの話だ。
20代の俺はパチンカスで、貯金という発想すらなかった男だ。その性根は、正直そんなに変わっちゃいない。立派に蓄えたわけでも、先を見越して残したわけでもない。たまたま事業資金が残っていた——本当にそれだけの、運みたいなものだった。皮肉なことに、その運みたいな金が、動けなくなった俺の命綱になった。
その金の使い道で、俺は銀行に狙われた
正直に言う。この2,000万の「使い道」を考える時間が、廃業の手続きよりよっぽど苦しかった。
金融の知識なんて、何ひとつなかった。とりあえず、いくつかの銀行にバラバラに置いてあった金を、一つの銀行にまとめた。ただそれだけのことだ。
そうしたら、まとめた瞬間に銀行から電話がかかってきた。「何か運用されませんか」と。今思えば、まとまった金が動いたのを、向こうはちゃんと見ていたんだろう。それからしつこく勧誘を受けて、俺はノコノコ話を聞きに銀行まで出向いた。
応対してくれたのは、感じのいい綺麗なお姉さんだった。そして勧められたのは、手数料のやたら高い投資信託だった。
金を持っていて、知識がない人間は、こうやって狙われる。当時の俺は、まさにそのカモだった。幸い、その場では契約しなかった。でもそれは、俺が賢かったからじゃない。たまたま即決しなかっただけだ。あと一歩で、貴重な命綱の一部を、手数料という名目で持っていかれるところだった。
この経験で、俺は腹を括った。人に勧められるまま買うんじゃない。自分で勉強して、自分で選ぶ。手数料の高い商品じゃなく、コストの低い高配当株とETFで、配当を受け取りながらローンを返していく。その仕組みをどう作ったかは、別記事に書いた。
就業不能保険(月20万)が生活を支えた
正直、これがなかったら詰んでいた。
働けなくなったとき、毎月20万円が入ってくる就業不能保険。現役のときに入っていたこの保険が、収入ゼロになった俺の生活を、文字どおり支えてくれた。体が資本の仕事ほど、「働けなくなったとき」の備えが効く。これは現役のうちにしか入れない。詳しくは別記事に書いた。働けなくなる「崖」がいつ来るかは別記事も参考に。
機材・車両の処分——ここでも俺は試された
廃業は、書類だけじゃ終わらない。機材や車両、リース契約の処分、取引先への挨拶、債権債務の整理。これが地味にしんどい。しかも俺は、気軽に動ける体じゃなかった。
トラックの処分も、ひと苦労だった。ある知り合いが「買い取るよ。手続きも全部こっちでやってやる」と言ってくれた。動けない俺には、ありがたい話に聞こえた。正直、面倒くさいし、もう任せてしまおうかと思った。
でも、提示された買取金額に、どうも違和感があった。なんとなく、安い気がした。
俺は無理を押して、自分で買取業者を探し、査定してもらった。そうしたら——知り合いが言ってきた額の、倍の値段がついた。倍だ。
もし、あのまま面倒くさがって任せていたら、俺はトラック一台分の半分を、「親切な知り合い」に静かに持っていかれていた。
「親切」の顔をして近づいてくる話ほど、一度は自分で確かめろ。これは俺が、この人生で何度も痛い目を見て学んだことだ。だから正直に言う。俺は、世の中の「持ちつ持たれつ」や、他人の善意を、あまり鵜呑みにしていない。動けないとき、弱っているときほど、人は試される。良くも悪くも、だ。
もちろん、本当に支えてくれた人間もいた。血の繋がりじゃなく、現場で一緒に汗をかいた連中だ。だからこそ、見極めが要る。誰を信じて、何を自分の目で確かめるか。それを、廃業のドサクサで一気に突きつけられた。結局、最後に頼れるのは、人脈や世間のつながりという”社会資本”じゃない。自分で確かめる目と、自分で立つ力——”自分資本”だ。その考えは社会資本より自分資本にまとめた。
入っておけばよかった——小規模企業共済
最後に、俺の最大の後悔を書く。
一人親方には、退職金がない。会社員みたいに、辞めるときにまとまった金が出る仕組みは、自分で作らない限り、この世に存在しない。
その「自分で作る退職金」が、小規模企業共済だ。経営者・個人事業主のための退職金制度で、現役のうちに掛けておけば、廃業したときに共済金として受け取れる。掛金は現役のうち全額所得控除になるから、毎年の税金も減らせる。
ここが肝心なところだ。廃業は、この共済の受取がいちばん優遇される事由なんだ。自己都合の途中解約と違って、廃業で受け取る共済金は、加入期間が短くても元本割れを避けやすく、税金の面でも「退職所得」として軽く扱われる。一人親方が、唯一まとまった「退職金」を手にできる瞬間——それが、皮肉にも廃業のときなんだ。
正直に言えば、共済の節税は「免除」じゃなく「先送り」だ。受け取るときには課税される。それでも、現役で払う高い税率のときに控除して、稼ぎが落ちた廃業後の優遇された退職所得で受け取る。この差のぶん、ちゃんと得をする設計になっている。
だが俺は、これに入っていなかった。
存在すら知らなかった。現役のときは目の前の現場で頭がいっぱいで、「畳む日の自分」なんて1ミリも想像していなかった。だから事故で廃業したとき、退職金代わりに受け取れる共済金は、ゼロ。手元に残ったのは、たまたま行き場をなくした事業資金だけだった。
しかも共済は、現役で事業をやっているうちにしか入れない。動けなくなってから、廃業を突きつけられてから「入っておけば」と思っても、もう遅い。畳む側になって、初めて気づくんだ。
⑤ 今、廃業する人へ——”知っておけばよかった”3つ
俺の失敗を、そのままあんたの教訓にしてほしい。畳む前に、これだけは。
1. 体が資本の仕事ほど、「働けなくなる備え」は現役のうちに
就業不能保険も小規模企業共済も、稼げているうちにしか入れない。動けなくなってからでは遅い。俺は片方しか入っていなかった(現役のうちの備え/月20万の保険の話)。
2. 廃業後の生活設計を、畳む前に
国保料・年金・収入の柱。廃業した瞬間に収入がゼロになる現実を、紙に書き出してから畳め。特に予定納税の減額申請は、期限を一日でも過ぎたら効かない。俺みたいに払わなくていい税金を先払いするな。
3. 残った金は”退職金代わり”に設計する
退職金がない一人親方にとって、手元に残った金は文字どおり最後の砦だ。共済・投資、どう設計するかで老後がまるごと変わる。俺がどう2,000万を運用に回したかは別記事に。
⑥ まとめ:廃業は、終わりじゃなかった
妻が廃業届を出してくれたと聞いたとき、俺は正直、ホッとした。これでもう、迫る期限に怯えなくていい。肩の荷が下りた気がした。
でも同時に、悔しかった。
自分の事業の幕を、自分の手で下ろせなかった。20年かけて作り上げた現場を、動けない体で、紙一枚を妻に託すしか、なかった。安堵と悔しさ。あの二つの感情を、俺は一生忘れないと思う。
ただ、ひとつだけ言えることがある。
何もなくなったと思った俺が、その残った2,000万で株を始めた。そこから配当を再投資して、値上がり益を積み重ねて、資産は4,000万円を超えた。年間の配当は、税引前で120万円を超えた。働けない体のまま、金が金を生む仕組みを作った。
廃業は、終わりじゃなかった。知って、動いた人だけが得をする。あの日の俺は、知らなかったし、動けなかった。だからこの記事を書いている。
あんたには、同じ思いをしてほしくない。
📖 俺のこれまでの全記録を読みたい人へ
元職人→廃業→障害→どん底→投資で4,000万円——
この軌跡を一本のストーリーとしてまとめた
「それでも俺は生きている ― ヘタな仮設屋の、笑えるけど刺さる30年 ―」をnoteで公開中です。
👉 それでも俺は生きている ― ヘタな仮設屋の、笑えるけど刺さる30年 ―をnoteで読む

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