普段、神様なんて信じていない。
信仰もなければ、お祈りをする習慣もない。
でも、脊損疼痛がひどい夜だけは違う。
布団の中で激痛に耐えながら、気づいたら手を合わせている。声に出して「お願いします、止まってくれ」と繰り返している。泣きながら。
おかしいとは思う。信じてもいない神に向かって、手を合わせて泣いて、助けを求めている。祈り方も知らないのに、祈っている。どこの誰に届くのかもわからないのに、声を出して「お願いします」と言い続けている。
誰かに見られたら笑われる。いや、見ている人間はいない。深夜に、布団の中で、一人でやっている。それが信仰を持たない男の、哀れな夜だ。
時計を見ると夜中の2時か3時。特に何かあったわけじゃない。昨日は大丈夫だったのに、今夜は来た。それだけのことだ。
足の先端に、じわじわと、でも確実に痛みが広がってくる。いい歳をした50の男が、声も出さずに、ただ耐えている。
情けないとか、弱いとか、そういうことじゃない。ただ、本当に無力なのだ。薬も効かない。動くこともできない。隣で妻が眠っているから声も出せない。ただ、朝が来るのを待つしかない夜がある。
激痛がひどいときは、ソファに移動する。家族を起こさないためだ。でも声は、どうしても出る。抑えようとしても出る。だからソファで、声を殺しながら、一人でいる。
スマホを見て気を紛らわせようとする。効かない。画面を見ていても、痛みは続いている。
これが地獄の時間帯だ。解決策は、ない。
この記事を書こうと思ったのは、ネットで「脊損疼痛」と検索しても、医学的な説明と治験の話しか出てこないからだ。「夜中に泣きそうになった」という体験を書いた人間が、どこにもいない。だから俺が書く。
もしこれを読んでいるあなたが「俺も同じだ」と思ってくれたなら——この記事は、あなたと共有したかった自分のために書いた。
そして、そんな夜を隣で見ている家族にも、読んでほしい。
俺の移動手段は「一つ」じゃない
「クラッチ杖で生活している」と言うと、多くの人はそれだけで移動していると思う。
違う。
俺の移動手段は、その日の体の状態によって変わる。
家の中では歩行器を使う。 壁や家具に頼れる室内と違い、体幹への負担を分散させるために歩行器が必要だ。クラッチ杖だけで家中を動き回るのは、思っている以上に消耗する。
外出時はクラッチ杖を使う。 歩行器では段差や距離に限界がある。外の世界はクラッチ杖で立ち向かう。
脊損疼痛がひどい日は車椅子を使う。 これが一番正直な告白かもしれない。車椅子は楽だ。本当に楽だ。でも俺は、できるだけ車椅子に頼らないようにしている。理由は後で書く。
この「使い分け」を、障害を持たない人はなかなかイメージできない。「杖があれば歩けるんでしょ」という言葉が的外れな理由が、ここにある。
買い物に行けるようになるまで
事故の後、しばらくは買い物に行けなかった。
スーパーに行くという行為が、これほど複雑だとは思っていなかった。駐車場の段差、濡れた路面、人混みの中でのバランス確保、そして決定的な問題——両手がクラッチ杖でふさがっているので、荷物が持てない。
答えを見つけたのは、ある日スーパーのカートを見た時だった。
カートを歩行器代わりにする。クラッチ杖をカートの籠に入れて、カートを押しながら歩く。これなら両手が使えて、体も支えられる。
最初は本当にきつかった。体力的にも、精神的にも。でも「これはリハビリだ」と自分に言い聞かせて続けた。今は少しずつ慣れてきた。
できなかったことが、できるようになっていく。それだけで十分すぎる前進だ。
同じ障害を持つ人で、買い物に行けずにいる人がいたら、このカート方式を試してみてほしい。全員に合うかはわからないが、俺には合った。
脊損疼痛という、見えない敵
ここが、この記事で一番書きたかった部分だ。
脊損疼痛には、段階がある。俺の場合で言う。
第一段階——これがデフォルトだ。
正座を長時間して、立ち上がった後の足の痺れを知っているだろうか。あの「ジンジン」した感覚。俺にはそれが常時ある。ゼロにはならない。「痺れのない状態」というものが、今の俺には存在しない。
第二段階——足の甲とスネに来る、火傷のような感覚だ。
これもほぼ毎日起きる。触っていない。何もしていない。でも足の甲とスネが、熱湯に触れたような感覚になる。強弱がある。弱いときは背景ノイズのように流せる。強く出るときは、そこに集中力を全部持っていかれる。
第三段階——夜中に来る、あれだ。
脊損疼痛を経験したことがない人に、どう伝えればいいか。一つ、誰でも知っているもので例えてみる。
足の小指を、壁の角にぶつけたことがあるだろう。
あの瞬間の痛み——目の前が白くなって、声も出なくて、しばらく動けなくなるあれ。1分もすれば引いていく、あの激痛。
脊損疼痛は、あれが止まらない。
俺の場合、足の指先に出やすい。何もぶつけていない。何もしていない。ただ、神経が勝手にその信号を出し続ける。いつ始まるかわからない。いつ終わるかもわからない。今日は大丈夫でも、明日の夜中の2時に来るかもしれない。
そして、夜に来やすい。
眠ろうとした瞬間に来る。体の力を抜こうとするほど、痛くなる。主治医に聞いたら「自律神経が落ち着くと疼痛が出やすい」と言われた。つまり、リラックスしようとすると痛くなる。眠ろうとすると痛くなる。
薬も試した。効かなかった。副作用だけが残って、痛みは取れない。だから薬はやめた。
医学的には「神経障害性疼痛」と呼ばれ、脊髄損傷後の有訴率は約8割と言われている。だが「8割」という数字はネットにいくらでも出てくる。「足の指先が、誰かに壁の角でぶつけられ続けているような夜がある」という話は、どこにも出てこない。
この痛みは、9年続いている。
9年経っても、慣れない。「慣れる」という感覚が、一切ない。1回目と9年目の痛みは、同じように辛い。「もう慣れただろう」と思われることがあるかもしれない。違う。慣れない痛みが、9年間続いている。
そして、基本的には良くならない。完治するという見通しもない。治すのではなく、上手く付き合っていくしかない痛みだ。
解決策はない。ただ、同じ夜を過ごしている人に「俺も同じだ」と届けたくて、書いている。
家族へ——この痛みは見えない
俺には嫁と3人の息子がいる。
家族の前で「しんどい」と言わないようにしている。心配をかけたくないし、言っても痛みが消えるわけじゃない。だから黙っている。
でも、夜中に声も出せずに耐えている時、隣で眠っている家族は知らない。
これを読んでいる家族の方に伝えたい。
脊損疼痛を持つ人が「大丈夫」と言っていても、大丈夫じゃない夜がある。何もできずにベッドで耐えている日がある。それは弱さじゃない。治療法がほとんどない痛みと戦っている、ということだ。
「何かできることある?」と一言聞いてくれるだけでいい。答えは「ない」かもしれない。でも、その一言が、孤独な夜を少し違うものにする。
翌日、痛みから解放されていれば、ほぼ通常通りに動く。一睡もできなかった夜は、昼に少し眠ることもある。
家族にはできるだけ、何もなかったように振る舞う。
「心配をかけたくない」というのもある。でも本音を言えば——家族の、どうしたらいいかわからない顔を見たくないからだ。
助けようとしてくれているのはわかる。でも、助けられない。その顔が、痛みより辛いことがある。だから黙っている。
それでも動く理由——筋トレと疼痛の関係
ひとつ、自分で気づいたことがある。
体を動かすと、疼痛が多少マシになる気がする。
これは気のせいじゃなかった。畿央大学の研究によると、有酸素運動や筋活動によって脊髄損傷後の神経障害性疼痛の主観的な痛みの強度が減少し、気分状態も改善するという結果が報告されている。脳波レベルで変化が確認されているデータだ。
だから俺は毎日、上半身の筋トレを続けている。ベンチプレス、懸垂、ダンベル——元職人として鍛えてきた上半身が、今は疼痛と戦う武器になっている。
それともう一つ。車椅子を使わずクラッチ杖で立ち続けることにこだわるのは、回復の可能性を諦めていないからだ。残っている機能を使い続けること。筋力を落とさないこと。それが俺の選択だ。リハビリで障害等級が変わるリスクも知った上で、それでも動き続けることを選んでいる。
楽な方向に流れることはいつでもできる。でも俺は、まだ諦めていない。
ペインクリニックという選択肢
最後に、同じ疼痛を抱えている人に伝えたいことがある。
俺は最近まで知らなかったのだが、ペインクリニックという選択肢がある。
脊損の主治医はリハビリや運動機能が専門だ。でもペインクリニックは「痛みを取ること」だけを専門にしている。内服薬が効かない場合でも、神経ブロック注射や脊髄刺激療法など、別のアプローチが複数ある。
主治医に「ペインクリニックに紹介してほしい」と言えば、紹介状を書いてもらえる。この一言だけでいい。
俺はこれからその一言を言いに行く。もし同じ状況の人がいるなら、一緒に試してみてほしい。
同じ痛みを持つ人へ
この記事を書いたのは、情報を伝えたいからだけじゃない。
夜中に神頼みをしてしまうこと。いい歳して泣きそうになること。そういう経験を、誰かと共有したかった。
あなたが感じている無力さは、弱さじゃない。それだけ過酷な痛みと戦っているということだ。
同じ境遇の人がいたら、ぜひコメントや問い合わせで声をかけてほしい。俺も当事者として、つながりたいと思っている。障害を負って自分の存在価値を見失いかけた頃のことは、「価値がなくなった自分に、生きていい」という記事に書いた。
📖 俺のこれまでの全記録を読みたい人へ
元職人→廃業→障害→どん底→投資で4,000万円——
この軌跡を一本のストーリーとしてまとめた
「それでも俺は生きている ‒ ヘタな仮設屋の、笑えるけど刺さる30年 ‒」をnoteで公開中です。
→ note: hetagorilla

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