障害を負い、不安と混乱の中で──俺は1200万円を外貨建て保険に突っ込んだ。内容もリスクも理解しないまま。それが今でも後悔している決断だ。
障害を負ったその日、1200万円を保険に預けた
障害を負い、働けなくなった直後──俺は不安と混乱の中で老後をどう過ごすかばかりを考えていた。生活が成り立つのか、家族を支えられるのか、自分にできることは何か。
そのとき、以前から付き合いのあった保険担当者の方に声をかけられたのだ。
「外貨建て終身保険に今入っておけば、老後の備えになりますよ」
その言葉にすがるように、俺は1200万円という大きなお金を一括で保険に預ける決断をした。当時はまったく内容を理解していなかった。
ただ、
「動けない俺に代わって、色々な手続きをしてくれた」
「妻の不安にも寄り添ってくれた」
その誠実さに救われ、つい保険に申し込んでしまったのだ。
ちなみにこの保険は「俺自身の保障」ではなく、「俺の妻に対する死亡保障」のための保険だった。自分が障害を負い、家族を守る手段を必死に探していた中で「せめてもの安心を」という思いから契約したものだった。
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正直に言う──今も後悔している

この外貨建て保険は、「老後の安心」を謳って販売された。
だが、俺自身は内容もリスクもよく理解しないまま契約していた。
- 解約返戻率の低さ
- ドル建てであること
- 為替リスクがあること
- 長期保有しないと元本割れの可能性があること
──すべて、加入後に初めて知ったことだ。
正直に言えば、「無知だったこと」こそが最大の問題だった。
そして今も、この保険を
「解約すべきか」
「老後の備えとして持ち続けるべきか」
ずっと悩み続けている。
損失覚悟で手放すか、我慢して継続するか……決断しきれない自分に、もどかしささえ感じている。
なぜあのとき、1200万円を動かしてしまったのか
当時の俺には収入の柱として、障害年金・労災年金・就業不能保険があった。
ただ、そのうちの就業不能保険は当時20年で終了する見込みであり、その先の生活に対する不安が常に心にあった。収入を補う手段として、投資も考えてはいたが、株の知識がまったくなかった俺は大きな金額をリスクに晒すことができなかった。
だから「確実に返ってくる」という言葉に安心を求めてしまったのだ。
リスクを取りたくなかった俺だが為替のリスクを背負わされていることには全く気づかずに・・・
今になって思えば、投資と保険の“違い”もよく分かっていなかった。
保険は「安心を買う」もの。投資は「リスクを取って増やす」もの。そう思っていたが、改めて理解を深めていくと、この保険に関してはリスクだけ背負わされて、リターンは少ないように感じた。
この違いを正しく理解していれば、もう少し冷静に選択できたのではないか──そんな思いが今も残っている。
それでも担当者に感謝している理由

ここで誤解してほしくないのは、保険担当者が悪意を持って勧めてきたわけではないということ。
障害直後、動けなかった俺に代わって各種の書類手続きや相談をしてくれたのは本当にありがたいことだった。妻の精神的負担も軽減され、その部分には今でも感謝している。
ただ、「助けてもらったこと」と「正しい選択ができたかどうか」は別の話。
人としての信頼と、金融商品の妥当性は、切り分けて考える必要がある。
この経験を通じて、俺はそう実感した。
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保険に入る前に知っておくべき4つの視点
この経験を通じて俺が学んだことを、4つにまとめた。
- 保険の中身は「自分で理解」することが必須
- 外貨建て・終身保険=安全とは限らない。為替リスクを伴う
- 信頼できる人がいても、最終判断は「自分の責任」
- 保険と投資は、目的も性質も「別もの」として考える
特に「外貨建て」や「終身型」という言葉に安心してしまう方は要注意だ。
長期保有しても、為替やインフレにより「思っていたほど戻らない」ケースも多くある。
「配当金」という別の答えにたどり着いた
現在の俺は、インフレリスクや老後の生活設計を踏まえ、
「自分で育てる収入源」として、株式の配当金を重視
するようになった。
保険や年金収入だけでは、生活の質を守るのが難しい。
だからこそ「リスクと向き合いながら収入をつくる」という投資の考え方に、少しずつシフトしてきた。
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もし今、誰かに「家族の備えを考えている」と相談されたら──
- まずは自分の支出と資産を把握する
- 公的制度(年金や保障)のカバー範囲を知る
- 保険 or 投資、それぞれの役割と性質を比較する
- 決断は「感情」ではなく「理解」によって行う
──この4つを大切にしてほしいと、俺は強く思う。
この記事を読んでいるあなたへ
今でも俺は、この保険をどうすべきか悩んでいる。
「手放した方がいい」と思う日もあれば、「いまさら損してまで…」と足が止まる日もある。
でも、その葛藤自体が「俺自身の一次情報」であり、きっと誰かにとってのヒントになると信じている。
「なんとなく安心そうだから」
「担当者が親切だから」
──その気持ちは、俺にも痛いほどわかる。
でも、“未来の自分が納得できる選択か?”という問いは、あとからではなく、最初に考えるべき問いなのだ。
あなたの選択が、後悔のないものでありますように。
この記事が、そのための一助になればうれしく思う。
20歳のヤンキー上がりが、足場職人として叩き上げられ、独立し、そして6メートルから落ちるまで——俺の人生の生々しい記録は、noteの「ヘタゴリラ一代記」シリーズで書いています。ブログより人間くさい話が好きな方、「なぜこの人がこのブログを書いているのか」を知りたい方はぜひ。
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