【実録】月15万円の保険料を払っていたのに保険金が支払われなかった日。障害者になった私の「お金の守り方」の失敗と再出発

生命保険
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はじめに

かつての私は、「保険に入っていれば何かあっても大丈夫」と信じていました。毎月15万円という高額な保険料も、「将来への安心」だと思って迷わず払っていました。

でも── 実際に障害を負い、働けなくなったとき、

そのうちの一部の保険は「対象外です」の一言で、何の助けにもなりませんでした。

証券の内容も、保障の範囲も、私はまったく理解していなかったのです。

正直に言えば、「保険=安心」「営業さんが勧めてくれる=間違いない」と思い込んでいました。

そして驚くべきことに、 そのショックの後、私はさらに1200万円という大金を、 “また内容をよくわからないまま”外貨建ての保険に投じてしまったのです。

無知とは、本当に怖いものです。 お金が減ったことより、「自分で考えずに選んだこと」が、あとになって深く後悔として残りました。

この記事では、そんな私の保険の失敗体験を赤裸々に共有し、 そこからどう立て直し、資産形成と向き合ってきたかをお話ししたいと思います。

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毎月15万円の保険料を払っていた頃の“安心感”

建設業で現場に立ち続けていた私にとって、万が一の事故や病気に備えることは“職業的な責任”のようにも感じていました。

特に家族を持っていた私は、「何かあっても遺された家族にお金が残るように」と、掛け捨て保険に強く魅力を感じていました。

ただ一方で、毎月10万円の掛け捨て保険や学資保険は、今思えば“精神的なギャンブル”のような側面もあったと思います。起きるかどうかわからない事態に、毎月大きな金額を賭けていたのです。

この経験を通じて強く感じたのは、民間保険に頼るだけでなく、公的保険制度(障害年金や労災、健康保険など)の内容を正しく理解しておくことがいかに重要かということです。

保障の重複や、過剰な支払いを避けるためにも、公的な仕組みの基礎知識を持っているかどうかで大きく人生は変わります。

当時、建設業で個人事業主として働いていた私は、収入も安定していました。

「稼げるうちに備えておこう」と思い、毎月5万円の貯蓄型保険に加え、別の保険会社で毎月10万円ほどの掛け捨て保険と学資保険にも加入していました。

「老後の安心のため」「もしものときのため」「資産づくり」など、セールストークに後押しされ、保障内容よりも“払っている安心感”を重視していたと思います。

障害を負ったとき──保険は対象外だった

突然の事故により、私は両下肢に重い障害を負いました。
現場の仕事は継続できなくなり、それまで築き上げてきた暮らしが一瞬で崩れていくのを、ただ呆然と見ているしかありませんでした。

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「そういえば、保険に入っていたはずだ…」
わらにもすがる思いで、保険会社に連絡を入れました。

私は確かに、「死亡だけでなく、障害状態でも保険金が出る」と説明された記憶がありました。
だからこそ今回のような深刻な障害であれば、当然お金が支払われるものだと思っていたんです。

しかし、現実は甘くありませんでした。

「申し訳ありませんが、お客様のご契約内容では、今回の障害は給付対象外となっております」

頭が真っ白になりました。
「この状態で対象じゃないって、どういうこと?」
そう問いただすと、担当者は分厚い約款の細かい文字を指さしながら、

「こちらに“常時寝たきり”や“他人の介護が常時必要な場合”と記載されていますので、今回は該当しないんです」

と淡々と説明を始めました。

私は、自分がいかに保険の中身を“理解せずに加入していたか”を、痛烈に思い知らされました。

  • 「障害でも出るらしい」
  • 「貯蓄型は掛け捨てじゃないから得だ」
  • 「よく分からんけど、まぁFPも勧めてくれてるし、大丈夫やろ」

──そんな程度の認識で、毎月5万円という大金を、無意識に払い続けていたのです。

正直、約款なんて一度もちゃんと読んだことがなかった。
担当者から「こういう時にも出ますよ」と言われたとき、「ああ、そうなんだ」と鵜呑みにして、それ以上質問すらしなかった。
自分の未来を預ける“契約”なのに、理解も確認もしなかった。
説明を求めることすらしなかった自分の浅はかさが、今になって悔しくて仕方ありません。

そして追い打ちをかけるように、その保険の担当者は、私から障害の連絡を受けた後、ほとんど何の説明もせず、上司を連れてきて解約手続きを進め、ただ黙って私の前から姿を消しました。

この担当者は、もともと知人の紹介で出会った方で、「力になります」と笑顔で寄り添ってくれていた人でした。
でも今振り返ると、その言葉も「営業トークの一部だったのか」と思ってしまうほど、態度の変化はあからさまでした。

「保険金が出ない=あなたにはもう用はない」
──そんな空気を、はっきりと感じました。

久しぶりに心から人間不信になりました。
でも、それ以上に痛感したのは──

保険は、加入しただけでは何の意味もないという現実でした。

契約内容を理解せず、「払ってるから安心」と思い込んでいた私は、無防備だった。
“自分の無知が、自分と家族を守れなかった”。
この事実が、何よりも重くのしかかりました。


焦って加入した1200万円の外貨建て保険の後悔

将来への不安と絶望が押し寄せる中、私は何かにすがりたかった。


「この先、家族を守っていけるのか?」


「子どもたちの未来は、本当に大丈夫なのか?」

そんな不安に押しつぶされそうになっていたとき、ある人が手を差し伸べてくれました。

それは、以前から掛け捨て保険でお世話になっていた営業担当の方でした。
私が事故で動けず、寝たきりの状態だったときに、自ら手続きを引き受け、必要な書類や申請を懸命に整えてくれました。
不安で泣いていた妻にも真摯に向き合い、言葉をかけ、希望を失わないよう励ましてくれたのを、今でも鮮明に覚えています。

彼の言葉には力がありました。

「今は外貨建ての保険が注目されています」
「これを一括で入っておけば、老後の安心になりますよ。今のうちに動けた方がいいです」

彼に悪意があったとはまったく思いません。
むしろ、混乱と絶望のなかで精神的に寄り添ってくれた存在として、私は深く感謝しています。

──そして、結果として私は「貯蓄型の外貨建て保険」に、一括で1200万円という大金を預けました。


そのとき、為替リスクや途中解約時の損失、保険料の内訳、利率の仕組みなど、本当に大事なことをほとんど理解していなかったんです。

正直、「外貨建てって利回りがいいらしい」「戻ってくるなら損じゃないはず」という“ぼんやりした印象”だけで決めてしまった。


今思い出しても、あの判断の軽さに冷や汗が出ます。

「何を根拠に、あんな大きな決断ができたんやろう」

そう自分を責めた日もあります。
でも、これは全部、“知らなかった自分”の責任なんです。

営業の方はあくまで提案してくれただけ。
きちんと考えず、調べず、「信用できる人が言うなら…」と丸投げしてしまったのは、私自身でした。

そして、思うんです。
当時の私のように、「なんとなくよさそう」「とりあえず老後のために」と、内容を理解しないまま高額な保険に入ってしまっている人は、きっと他にもいるんじゃないかと。

その人が、あとから大きな後悔をしないように。


あのときの自分のように、「知らなかった」で損をしないように。

この経験を、できるだけ率直に書いておきたいと思ったのです。


知識ゼロだった私にも“助けてくれた保険”はあった

すべてが裏目に出たわけではありません。
唯一、助けになった保険もありました。

それが「就業不能保険」。
これは毎月20万円の給付が20年間続くもので、障害を負った今の私にとって、まさに命綱のような存在です。

そして、子どものためにかけていた学資保険も、私の障害によって払済となり、今も将来の学費の備えとして活き続けています。

でも、冷静に考えればこれらは、“偶然”助かっただけでした。

「たまたま入っていた」
「なんとなく契約していた」

本当は、どんな保険が必要か、何が対象外になるか、契約時に確認していなかった。
内容を理解する努力もせず、「入ってるから大丈夫」と思い込んでいただけだった。

──知らないということは、こうも脆いのか

身をもってそう実感しました。

私が学んだ「お金を守る力」とは

この2つの大きな失敗と、いくつかの“偶然の救い”を経て、ようやく私は「お金の守り方」を学び始めました。

私が本当に必要としていたのは、派手なリターンや難解な金融商品ではありませんでした。

  • 就業不能保険や障害保障など、現実に即した“もしもの備え”
  • 数ヶ月分の生活費をすぐに動かせる現金
  • 自分の意思とペースで育てていける配当株や投資信託

そして何より、いちばん大事だったのは、

「これは自分にとって必要か?」
「これは今の自分に本当に合っているのか?」

──と、自分の頭で問いかけて、納得して選ぶことだったのです。

「保険に入っているから安心」


「お金を預けておけば将来安心」


そうやって他人任せにしていた頃の私は、“本当の意味で備えていた”とは言えませんでした。

お金を守る力とは、「正しい商品を知っていること」ではなく、
**「正しいかどうかを自分で判断できること」**だったのです。

人生の状況も、家庭環境も、リスクの大きさも、人それぞれ違います。
だからこそ、「周りがやってるから」とか「なんとなく良さそうだから」ではなく、自分にとって必要なものと、そうでないものを分ける力が、本当の意味で“お金を守る力”になる。

私はようやくそのことに気づけました。

この経験を通じて、私は「学んでから選ぶこと」の大切さを痛感しました。
そしてもし、過去の自分のように「わからないけど大丈夫だろう」と思っている方がいたら──その方に少しでも早く、気づいてもらえたらと心から願っています。


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まとめ

保険は決して悪ではありません。
むしろ、私のように現場で体を張って働くブルーカラー職には、怪我や事故のリスクが常につきまといます。
だからこそ、本来なら「保険」は味方であり、備えるための重要な武器だったはずです。

でも、私はそれを“武器”として使えませんでした。
なぜなら──内容を理解せず、思考停止で加入していたからです。

  • 「貯蓄型って、なんかお得そう」
  • 「掛け捨てはもったいない」
  • 「FPにすすめられたから大丈夫だろう」

当時の私は、そんな浅い理解で、何万円もの保険料を毎月払い続けていました。
それが“安心”だと信じていたのです。

でも現実は違いました。
いざというとき、貯蓄型保険はまったく機能しなかった
逆に、内容すら把握していなかった就業不能保険が、今の私の生活を支える最大の柱になってくれました

そして何よりショックだったのは、「頼れる」と思っていた担当者に、必要な時にそっぽを向かれたことです。
あのときの無力感は、今でも忘れられません。

だけど、今はこう思えるようになりました。

保険で失敗したことは、無駄じゃなかった。

なぜならあの失敗が、「本当に必要なものを選ぶ視点」と「お金と自分の距離感」を教えてくれたからです。
今では保険は“守りの道具”、投資は“攻めの道具”、現金は“心の余白”と位置づけて、それぞれをバランスよく配置する資産設計を意識するようになりました。


このブログを書いたのは、「保険は難しいから、誰かに任せればいい」と昔の私のように考えている人に、少しでも立ち止まってもらいたいからです。

保険は人生の中でも、住宅や車と並ぶ「大きな買い物」です。
選ぶ前に、自分で理解すること。少しでも納得して契約すること。

この記事が、誰かが「保険に入る前」に読むきっかけになれば。


そして、同じような後悔をする人が一人でも減れば。


心からそう願っています。

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