【黒歴史⑥】40代で社会的資本をゼロにした俺が、”孤独”と生き直した話

※この記事には、俺自身の経験とそこから得た学びが含まれている。人間関係や社会的資本に悩む誰かに届けば幸いだ。


目次

はじめに──社会的資本って「絆」じゃなくて「負担」だったと気づいた

俺は、障害を負ったことをきっかけに、仕事だけでなく、社会的な繋がりもほとんど断ち切った。

事故のあと、いちばん強く感じたのは──
「気を使われることが、こんなにつらいなんて」ということ。

相手の優しさがつらくて、励ましが苦しくて、距離をとるようになったんだ。
でも、実はそれだけじゃなかった。

「お金を稼ぐこと=自分の価値」だと思っていた俺にとって、働けなくなった自分は“価値のない人間”に感じられた。
だから、「もう誰にも興味を持たれる存在じゃない」と、どこかで思い込んでいた。

そんな自分が誰かに会っても、きっと気まずくなる。
それなら、いっそ会わないほうがいい。
そう思うことは、ある意味“当然の反応”だったのかもしれない。

もともと責任や期待、付き合いに疲れていた俺にとって、「孤独」は逃げ場でもあった。

第1章|“かつての仲間”と会うのが、しんどかった

障害を負ってから、何度か「昔の仲間に会ってみようかな」と思ったことがあった。

でも、いざ会おうとすると、心のどこかでブレーキがかかる。

相手がどうこうじゃない。むしろ、みんなは変わらず接してくれたと思う。
それでも、なぜか距離を感じてしまう。気まずい空気が、どこかに流れる。

それはきっと、俺自身が「もう、同じ場所にはいられない」と思ってしまっていたからだ。

自分の中に勝手に“壁”を作っていた。
「落ちぶれた自分を見せたくない」
「頑張ってる仲間と比べたくない」
そうやって、自分から関係を遠ざけていたのかもしれない。

実は、事業を続けるという選択肢も考えたことがあった。
でも──
「このまま現場に戻っても、いずれ“食われる”だけだ」と、どこかで思っていたんだ。

今思えばそれは、「人に負けたくない」という気持ちと、「もう自分は勝負できない」という諦めが交差した、卑怯な言い訳でもあった。

体が不自由になった自分には、もう人脈も営業力もない。
頼れる人も減り、信頼も築き直す余力もない。
そんな不安を、“どうせ奪われるだけ”という被害者意識でごまかしていたのかもしれない。

仕事を取られる、人材を奪われる──実際には何も起きていないのに、
自分の弱さと向き合うのが怖くて、「やられる前に逃げよう」と決めつけていたんだ。

体がどうこうという以前に、心がすでに壊れかけていたのだと思う。

誰かと会っても素直に笑えない。
未来を語ろうとしても、どこかで「もう自分は終わった人間なんだ」と感じてしまう。

今振り返れば、あのときの俺は、完全に思考が病んでいた。

でもそのことに気づかないまま、“社会”や“人とのつながり”を、ひとつずつ自分の手で手放していったのだ。

第2章|「迷惑をかけるくらいなら、消えたほうがいい」──そう思っていた時期があった

“落ちぶれた自分”を見せたくなくて。

“今の自分”を説明するのがつらくて。

「このまま消えたほうがマシだ」とすら、思っていた。

「誰にも会わなければ、誰にも迷惑かけない」

そんなふうに考えて、人を避けるようになったんだ。

当時の自分には、「障害者としての覚悟」が足りなかったと思う。 これからどう生きていくべきか、何を頼りにしていいのか、まったく見えていなかった。

それだけに、健常者の人たちと接することが、どうしようもなく怖かったんだ。

もちろん、相手には相手の気持ちがあって、善意で接してくれていたと思う。 でも俺は、「こんな姿を見せるのが恥ずかしい」と思ってしまっていた。

情けない話だし、真剣に生きている障害者の方々には失礼かもしれない。 けれど当時の俺は、人の視線に耐えられないほどメンタルが壊れていたんだ。

顔を合わせるのが辛い。会話するのが怖い。 「この状態で誰かに会うくらいなら、一人のほうがマシだ」――本気でそう思っていた。

だけど──

それは“孤独”というより、“自己防衛”だった。

当時の俺には、「どう甘えればいいか」「どんな距離感でつながればいいか」がわからなかった。

それでも「関わること」そのものを否定してしまったことは、今でも後悔している。


第3章|社会的資本をすべて失ったあとに見えた現実

人間関係だけじゃない。

仕事の肩書きもない
頼れる同僚もいない
地域との繋がりもない

“誰かに頼る”ことができないということは、病院、役所、子どもの教育、何もかもが自分と妻の手に委ねられるということだった。

さらに当時の俺は、自分自身に対する自己肯定感がほぼゼロに近い状態だった。
歩けなくなった自分を受け入れられず、社会から取り残されたような感覚に支配されていたんだ。

正直に言えば、夫婦関係すらギリギリの綱渡り状態で、人と会うこと自体がもう無理だった。
それほどまでに、心が擦り切れていた。

廃業を決めたとき、俺は「もう、指示を出すだけの仕事はしたくない」と口にした。
でも本当は、人と関わることそのものを避けたかったのだと思う。
「誰とも関わらずに生きていけたら楽だろうな」──そう思っていたくらいだ。

心を閉ざした自分が、どんどん孤立していくのを感じながらも、それを止める余力もなかった。

第4章|それでも、少しずつ人と繋がりたいと思えるようになった理由

今の俺には、社会的肩書きも、仕事の名刺もない。

でも、筋トレをして、投資をして、ブログを書いて、自分の足で生活している。

筋トレも、投資も、そしてブログも──孤独な俺には相性が良かった。
誰にも会わなくても、自分とだけ向き合える。
体を鍛えること、資産を育てること、言葉を紡ぐこと──
そのすべてが「自分にもまだできることがある」と教えてくれた。

特にブログは、思いを吐き出す場所でありながら、
どこかの誰かと静かに繋がれる、“孤独すぎない孤独”の居場所になった。

そして、少しずつ気力が戻ってくると、ふと思うようになったのだ。

「このまま、誰とも関わらずに生きていくのかな……?」

そこで思い出したのが、唯一壊れずに残ってくれた妻との関係だった。
俺は自己肯定感がゼロに近く、人にも会いたくない完全な孤立状態。
だから、廃業を決めたとき、「もう人に指示する仕事はできない」と口にした。
でも本当は──人と会うことそのものが、怖くて仕方なかったのだ。

そんな俺が、少しずつでも変われたのは、黙って隣にいてくれた妻の存在があったから。

言葉より、存在そのものが支えになった。
だから今は、こう思える。

「人間関係は、逃げているだけではダメかもしれない」
「自分が変わることで、相手も変わることがあるかもしれない」

今でも、無理に人と関係を築こうとは思いない。
でも、“安心できる距離感”でなら、もう一度、誰かと繋がってみたい。

だから俺は、SNSやブログという“ちょうどいい繋がり方”を選んだ。

画面越しでも、
「わかるよ」「自分もそうだった」と言ってくれる誰かが、
きっとどこかにいる──そんな希望を持てたから。

だから、今日も言葉を綴っている。


第5章|「歩けない自分」をどう伝えたらいいのか──わからなかった

今になって思い返すと──
当時の俺は、身体の痛みよりも、「歩けない自分をどう伝えればいいのか」が一番つらかったのだと思う。

人に会うたびに、「なぜ?」「いつから?」「どれくらい大変なの?」と聞かれるたび、
言葉に詰まった。
ちゃんと答えようとすればするほど、自分の境遇を“説明する役”になってしまうのが苦しかったんだ。

「弱っているところを見せたくない」
「心配させたくない」
「ちゃんと生きてます、って言いたいのに、うまく言えない」

そんなふうに葛藤する自分が、情けなくて、恥ずかしくて──
ますます人と会うことを避けるようになった。

もちろん、今はわかる。
それでも懸命に生きている障害者の方はたくさんいるし、自分も甘えてばかりじゃいけなかった。
でも、当時は本当にメンタルが壊れていて、「人に会う」こと自体が大きなハードルだった。

だからこそ、あのときの自分には「無理して誰かに会わなくてもいいよ」と言ってあげたい。
そして、誰にも言えなかった“しんどさ”を、こうして文章にして伝えられる日が来たことを、今は少しだけ誇りに思っている。

おわりに|“ゼロ”から始める人間関係でも、遅くない

この記事は、“人間関係をリセットした人”の話かもしれない。
でも、伝えたいのは「全部手放してもいいよ」ではない。

俺自身、事業主だった当時に持っていた社会的資本のほとんどを、自分から逃げるように手放してしまったと、今では思っている。

それは誰かに壊されたのではなく、自分の中にあった劣等感や絶望感に押しつぶされて、自ら閉ざしてしまった結果だった。

あのときの俺は、障害を受け入れることもできず、人に頼ることもできず、ただただ「誰にも会いたくない」と思っていた。
「この姿を見せたくない」

「迷惑をかけたくない」

「情けない自分が恥ずかしい」
そうやって、誰とも繋がれなくなっていったのだ。

今も、当時の関係の多くは戻せていない。
でも、それでも生きている。
そして、少しずつ、新しい形のつながりを築き始めている。

これは、障害を負った人だけの話ではない。
仕事がうまくいっていない人、心が疲れてしまった人──
30代、40代というのは、人生の中でも多くの変化と向き合わなければならない時期だと思うんだ。

だからこそ、伝えたいのだ。

「少し離れてもいい。でも、また繋がりたくなったら戻ってきていい」

社会的資本は「あるうちに気づきにくく」「失うと不安になるもの」。
でも、失ったあとでも再構築できる力が、きっと人にはある。

焦らなくていい。
無理をしなくていい。
今の自分に合った距離感で、少しずつでいいから繋がってみよう。

俺もまだ、その途中だ。


🗒️ ブログに書けなかった感情の記録を、実録として書いている――ヘタゴリラ一代記(note)



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この記事を書いた人

元・建設業の個人事業主。現在は障害年金・労災年金・就業不能保険を活用しながら、配当金を軸に“無理のない自立生活”を目指す50代男性です。
配当投資、住宅ローン、保険の見直しなど、障害と向き合う中で学んだ「お金と生き方」のリアルを発信しています。

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