障害年金と老齢年金、なぜ“受け取り方”に感情の差があるのか

自立支援
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※この記事は、障害年金を受け取りながら「自分なりの再起の道」を模索してきた僕個人の体験に基づいています。

「働ける=偉い」「稼ぐ=正しい」と言いたいわけではありません。
働くことが難しい方、今は休養が必要な方、あらゆる状況の方を否定する意図はまったくありません。

むしろ、「いま不安の中にいる誰かが、“こういう考え方もある”と感じてもらえたらいいな」――そんな気持ちで書いています。

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はじめに|「堂々ともらえない」のは、僕だけ?

「老齢年金はみんなもらってる」
「でも、障害年金はなんとなく言いづらい」

これって、僕だけなんでしょうか?

長年働いて納めた保険料。
それで受け取ってるのは“当然の権利”のはずなのに――
どこかでずっと、「すみません、ありがとうございます」と言いながら受け取っている自分がいました。

それは、

社会の空気?

制度のせい?

自分のプライド?


このモヤモヤの正体を、今こそちゃんと掘り下げてみようと思います。


第1章|老齢年金=“労い”、障害年金=“同情”のような視線?

老齢年金は、「働ききった人の権利」「国が与える報酬」のように受け止められがちです。

「年金生活に入りました」と言っても、
誰も疑問を抱かないし、引け目も感じません。

でも、障害年金は?

  • 働き盛りでの受給
  • 外見では障害がわからない場合も多い
  • 「働けるのに受け取ってるのでは?」という誤解を受けやすい

その結果、「ありがとう」じゃなく「申し訳ない」気持ちで年金を受け取る人が多いのが現実です。


第2章|“制度の曖昧さ”が生む「自己規制」という壁

老齢年金は明確です。

  • 資産がいくらあっても支給OK
  • 働いても原則支給(在職老齢年金の調整はあるが明文化されている)

一方、障害年金はどうでしょう?

▽ 厚生労働省の見解:

障害年金は「日常生活能力の制限」が基準。働いていても、等級に該当すれば支給可能。
(出典:厚労省「障害年金Q&A」)

しかし、現場では…

  • 就労=改善とみなされ、再認定で等級が下がる可能性
  • 主治医の“就労への理解度”で診断書の書き方が変わる
  • 申立書の記載内容との整合性が強く問われる

この「曖昧な不安定さ」が、「じゃあ働かない方がいいのか?」という自己規制の心理につながります。

実際、社労士の間でも“就労と障害等級の関係”について見解が分かれるほど、グレーです。

🧭 老齢年金と障害年金の「就労・資産・支給条件」比較表

項目🧓 老齢年金(例:厚生年金)♿ 障害年金(1・2級)
支給の目的長年の就労に対する労い障害による生活・就労困難への支援
支給開始時期原則65歳~障害認定日にさかのぼって支給
就労の可否働いても原則OK働けても支給される場合あり
働くことの評価社会参加として前向きに評価「改善」とみなされることも…
資産や収入の制限資産・年収にかかわらず支給所得制限なし(※福祉手当は別)
支給の安定性原則、生涯にわたり支給再認定で等級変更や支給停止もあり
制度上の明確さ条件が明文化されているグレーゾーンが多く、判断に揺れがある
受け取る側の感情傾向(世間的)「堂々としていい権利」「申し訳なさ・遠慮」がつきまとう

こうして比べてみると、同じ「年金」という言葉でも、その背景や周囲の理解、そして制度の構造そのものに大きな違いがあるのがわかります。

特に「就労してもOK」のはずなのに、「働いたら減額されるのでは?」という不安がつきまとうのは、障害年金特有の曖昧さと空気の壁のせい――。

だからこそ、「制度の正確な理解」と「正しく伝える勇気」の両方が必要なんだと、僕は感じています。


第3章|「もらってるくせに働くの?」という空気の正体

実は、障害年金には収入制限がない(※所得制限があるのは一部の福祉手当や控除)にも関わらず、働くことに対する“空気の壁”は根強いです。

  • 「障害年金で悠々自適」と揶揄される
  • 「障害者枠で就職=配慮されるべき存在」という無言のラベリング
  • 「それだけ動けるならもう年金いらないでしょ」と言われかねない恐れ

この空気の正体は、たぶんこうです。

社会はまだ、「働けない人」=「年金をもらって当然」
「働いてる人」=「もらう必要なし」という、極端な二元論に縛られている

僕は実際にこう思ったことがあります。

「ブログで収益を得たい。事業所得も得たい。
――この姿を見られたら、“ズルしてる”って思われるんじゃないか?」

でも、本当は違う。

働けるようになったなら、納税者になることで社会に恩返しする道だってある
むしろそれが“本来の制度の意義”じゃないのか、と僕は思っています。

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第4章|その「後ろめたさ」は、あなたのせいじゃない

もし、あなたも僕と同じように、

  • 障害年金を受け取っていることを“誇れない”
  • でも、“ずっと依存しているのも違う気がする”
  • 少しでも働こうとすると“後ろ指さされる気がする”

そう感じていたら――どうか、自分を責めないでください

それは、あなたの認識不足でも、努力不足でもない。

ただ制度が曖昧で、
社会がまだ「多様な障害と働き方」に慣れていないだけなんです。


第5章|じゃあどうすればいいのか?僕なりの答え

じゃあ、このモヤモヤの中でどうすれば前に進めるのか?

僕は今、こんな風に考えています。


■(1)制度の正しい理解を持つ

  • 障害年金は「就労=即打ち切り」ではない
  • 就労=障害の改善とは限らない(特に内部障害や精神障害では顕著)

👉「自分の障害に応じた生活への支援」であることを、まず自分が認識する。


■(2)“発信する側”に回ってみる

後ろめたさに押しつぶされるより、
「こういう生き方もある」と実例を見せることの方が、よっぽど建設的だと今は思っています。

  • ブログを書く
  • SNSで日々の工夫を発信する
  • 同じ境遇の人の声に耳を傾ける

発信は、「堂々としていい」と自分に許可を出す行為でもあります。


■(3)“感謝”はあっていい。でも“卑屈”にはならなくていい

年金を受け取れることはありがたい。
でもそれは“下にいる”ことを意味しません。

感謝と誇りは、同時に持っていていい

■(4)遠慮せず、「学ぶ」も「稼ぐ」も目指していい

もし、あなたが「どうせ年金をもらってるから…」と学びや挑戦にブレーキをかけているなら、
そのブレーキは、もう外していいと僕は言いたい。

年金は「権利の行使」
そのうえで、働ける力を少しずつ取り戻し、学び直し(リスキリング)をして、
稼げるようになったら納税して、また社会の一部として機能していくことができる

これは「ズル」でも「贅沢」でもない。
社会に“再び加わる”という、立派な歩み直しなんです。

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※この章では「障害年金をもらいながら、再び稼ぐことを目指す」という僕個人の考えを紹介しています。
僕の場合は、保険による給付やある程度の金融資産があったことで「減額や停止されても仕方ない」と思える土台がありました。
誰にでもその余裕があるとは思っていませんし、「働くこと」や「再起を目指すこと」が難しい状況の方を責めるつもりもありません。
この記事は、あくまで「こういう考え方・生き方もある」という一例として、必要な人にだけ届けばと思って書いています。


おわりに|僕らは「もらって生きる」のではなく、「立て直して生き直している」

障害年金をもらっている――
その事実は、過去に大きな困難を経験したことの証です。

でもそこで止まらずに、自分の力で生活を立て直そうとしている。
学び直し、働き方を模索し、時には発信しながら――
再起動するように、自分の人生を編み直している。

だから僕はこれからも堂々と書いていきます。

「障害年金をもらいながら、僕は働く」
「リスキリングも、副収入もやっていい」
「それはズルじゃない。再起のための“投資”なんだ」

もしあなたが、同じようなモヤモヤを抱えているなら――
この文章が、少しでも背中を押せたら嬉しいです。

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