はじめに|これはお金の話ではなく、心の話です

第1作では「元パチンカスだった自分」、第2作では「障害を負って廃業に至った経緯」を語ってきました。
そして今回の黒歴史は、「夫婦関係」です。だんだん笑えない話になっていきますね・・・笑。
仕事ではそれなりに稼げていて、表面的には順調だったかもしれない。でも、家庭の中では“見えない火種”がずっとくすぶっていたんです。
今回は、自分でも直視したくないような「ダメ夫時代」を振り返りながら、どうして僕たち夫婦が一度は崩れかけ、それでも関係を再構築できたのか──そしてそのきっかけが“投資”だったという、不思議な話をお届けします。
同じように、かつての僕みたいな「稼ぐことが正義」だと思っていた人にこそ、読んでほしい。
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第1章|「信頼してる」は、ただの丸投げだっ
当時の僕は、とにかく仕事人間でした。建設業の個人事業主として、毎日現場に出ては汗をかき、それなりに稼いでいました。
「お金を稼ぐのが男の仕事だろ」──そんな昭和的な価値観を、心のどこかで引きずっていたのかもしれません。
僕は当時、お金を稼ぐことが正義だと本気で信じていました。だからこそ、「俺の何に不満があるんだ?」と本気で思っていた、痛い旦那だったんです。
妻のことは「信頼してる」と言っていました。でも今振り返ると、それはただの“丸投げ”でした。
家のことは全部任せっきり。子どものことも「俺は現場があるから」と言い訳して、完全にノータッチ。お金の管理も「お前がしっかりしてくれよ」と押しつけていました。
もちろん、僕なりに「やった気」になっていた部分もあります。
子育てが双子もいて大変だろうと、妻の実家の近くに引っ越したり、「ごはんを作るのも負担だろう」と外食を増やしたり、お金の不自由がないようにと、それなりに気は使っていたつもりでした。
でも、肝心な「感謝」や「共有すること」を怠っていた。
そして、妻がイライラしている理由が分からず、「何をそんなに怒ってんねん」と僕自身もイライラして、言い合いになることもありました。
今思えば、僕が向き合わなかったせいで、妻はずっと孤独を感じていたのかもしれません。
「ちゃんとお金は入れてるんだから、それで十分だろ」と、僕は本気で思っていたんです。生活費をしっかり渡して、食事にも困らせていない。外食だって増やしたし、欲しいものは買えるようにしていた。なのに、なぜイライラされるのか、当時の僕にはまったく理解できませんでした。
だからこそ、妻のちょっとした不満やイライラにもこちらがイラッとしてしまい、言い合いになることも増えていきました。今思えば、本当に相手の気持ちに向き合っていなかったんです。
相談を受けることもありましたが、「仕事が忙しいから」と真剣に取り合わなかったこともありました。
信頼していた──じゃない。逃げていただけなんです。
第2章|障害を負って、家にいるようになって気づいたこと

そんな生活が続く中、僕は大怪我をして障害を負い、強制的に“家にいる夫”になりました。
──そこで初めて、今まで見ようともしなかった現実に、正面から向き合うことになったんです。
くすぶっていた家庭の火種は、一気に燃え上がりました。
長年、蓄積されてきた妻の不満や怒りが爆発。会話はトゲだらけで、空気は最悪。
ある日、本気で「離婚」という言葉が出ました。
僕はようやく、「このままだと全部失うかもしれない」と気づきました。
でも正直、そのときの僕にはどうしていいか分からなかった。
仕事もできず、家でも居場所がない。何を話せばいいのか、どう向き合えばいいのかも分からない。
ただ、ひたすらに自信を失っていきました。
僕自身、自分の体がこれからどうなるのかすら分からず、ストレスと不安で押しつぶされそうでした。
身体の自由を失い、仕事もなくなり、「自分にはもう何も残っていない」と思い詰めるような日々。
そんな中で、夫婦の関係もうまくいかず、本当に毎日のように喧嘩をしていました。
何か言えばぶつかり、黙っていても空気が悪くなる。言葉のひとつひとつに棘が刺さるような、息の詰まる日々。
──今思えば、僕はとても孤独でした。
でも、それ以上に、妻のほうがもっと深く孤独だったのかもしれません。
僕は自分のことばかりで精一杯になっていて、妻が感じていた「先の見えない不安」に寄り添う余裕も、想像する力もありませんでした。
支えるべき相手に、寄りかかることしかできなかったんです。
本当に、状況は最悪でした。
第3章|きっかけは、まさかの“配当”だった
そんな中、僕は“株式投資”と出会いました。
最初は、「今の自分にできることは何か」と考えた末の、一つの選択肢でした。お金を増やす手段として興味を持ち、勉強を始めたんです。
その中で、よく目にするようになったのが「投資は自己責任」という言葉でした。
「そんなことあたりまえだろう」
しかしこの言葉が、妙に心に引っかかりました。
というのも当時の僕は、怪我をして障害を負い、会社を廃業し、夫婦関係も悪化し、高額な外貨建て保険にも入っていた──まさに人生が混乱の中にある状態。
でも、よくよく考えれば、どれも「誰のせいにもできない」ことだったんです。
むしろ、自分の判断、自分の行動の結果だった。
それに気づいたとき、あの「自己責任」という言葉が、まるで刃のように突き刺さったんです。
さらに調べていく中で、「原因自分論」という考え方に出会いました。
──「自分の身に起きるすべてのことは、自分に原因がある」──
はじめは、「そんなはずない」「理不尽なことだってある」と思いました。
でも、読み進めていくと、こう書いてありました。
他人や環境を責めるのではなく、
自分の内側に“選択の自由”と“責任”を取り戻すことが、人生を立て直す第一歩である。
この一文を読んだとき、僕の中で何かが変わり始めました。
「原因自分論」──最初は少し極端に聞こえるかもしれません。
でも、僕なりにこう理解したんです。
たとえば、信頼していた職人が突然辞めてしまったとします。
普通なら、「あいつは裏切った」「タイミングが最悪だった」と相手を責めたくなる。
でも、原因自分論で考えると、「なぜ辞める前に不満に気づけなかったのか?」「なぜその人に業務が偏るような仕組みにしてしまったのか?」と、自分の行動や判断に目を向けることになります。
これは自分を責めるための思考ではなく、次の選択を“より良くするための視点”なんです。
責任を他人に預けるのではなく、自分に引き取ることで、人生を取り戻せる。
──僕は、そういうふうにこの考えを受け取りました。
それは、自分を責めるということではありません。
むしろ、自分に選ぶ力があったこと、自分に選び直す自由があることを思い出させてくれる考え方でした。
この一文を読んだとき、僕の中で何かが変わり始めました。「あのときの会社の選択も」「夫婦関係が崩れたのも」「保険に入ったのも」
すべて、確かに自分で選んできたことだった。
「誰かにそう言われたから」「状況がそうだったから」ではなく、
“そう判断したのは自分”だったという視点に立つことで、過去の出来事の見え方がガラッと変わったんです。
原因を他人に求めているうちは、ずっと被害者のまま。
でも、「原因は自分にあったかもしれない」と思えたとき、
少しずつ「次は変えられるかもしれない」と思えるようになっていきました。
この考え方は、僕にとって“希望”ではなく、“現実の受け入れ”でした。
でも、それこそが本当のスタートラインだったんだと思います。
第4章|他人を変えるより、自分が変わると決めた日
夫婦関係を立て直すきっかけになったのは──皮肉にも、“投資の話”でした。
最初は、僕から話しかけたお金の会話でした。
「この銘柄どう思う?」「老後って、いくらぐらい必要なんだろう?」
そんな他愛ない会話が、少しずつ「これから、どう暮らしていくか?」という未来の話につながっていったんです。
投資を学ぶことで、“先を見通す癖”がついたのかもしれません。
それまでの僕は、目の前の仕事と収入しか見えていなかった。
でも、お金を通して「自分たちの人生設計」を考えるようになってから、自然と夫婦の会話にも“希望”や“視点の共有”が生まれ始めたんです。
そしてもう一つ、大きな変化がありました。
僕はこの頃から、「自分以外の人に期待するのをやめる」と決めました。
この言い方は、冷たく聞こえるかもしれません。
でも僕にとっては、誰かに“こうしてくれよ”と期待しては裏切られ、イライラする──そんな負のループを断ち切るための、はっきりとした転換点だったんです。
これは家族に対しても、知人に対しても、同じでした。
たとえば、車の運転中に割り込みをされてカッとしたことが何度もありました。
でも「人は変えられない。なら、自分が変わるしかない」と言い聞かせるようになってから、不思議なくらい心が静かになったんです。
妻が不機嫌そうにしていても、「またか」と思うのではなく、「自分から話しかけてみよう」と思えるようになりました。
「なんでこんなこともできないんだ」とイライラすることも、なくなっていきました。
そして僕は、「人に期待しない」ということは、同時に「自分自身にも甘えない」ということだと気づきました。
「どうせ誰かがなんとかしてくれるだろう」と思うのではなく、自分で考え、自分で動く。
そうやって一つひとつ、自分の中の“責任のスイッチ”を入れていくと、自然とまわりとの関係も整いはじめたんです。
自分を変えることって、勇気がいります。
でも、相手を変えるより、よっぽど早く簡単なんです。
期待しないことで、逆に感謝が生まれるようになりました。
「やってくれて当たり前」「なんでやってくれないんだろう」ではなく、
「自分でするのが当たり前」「やってくれてありがとう」に変わっていったんです。
この感覚が、少しずつ家庭の空気を変えていった。
そして気がつけば、以前よりずっと自然に──夫婦として、ちゃんと会話ができるようになっていました。
第5章|いま、ようやく向き合えている

今では、車椅子に座って洗濯物をたたんだり、洗い物をしたり、晩ごはんを担当するのも当たり前になりました。
昔の自分からは想像もつかないような日常。
でも、今の僕にとってはこれが“普通”なんです。
もちろん、最初はぎこちなかった。
手の動かし方ひとつにしても不器用だし、料理だってまだまだ要領が悪い。
でも、「どうせ自分はできない」と思うより、「自分は変わろうとしてる」と思えることで、心が少しずつ軽くなっていきました。
かつての僕は、「家事や育児は妻の役割」と決めつけていた。
でも今は、「一緒に生きていくって、こういうことなんだ」と、ようやく実感できるようになった気がします。
そして何より、妻との会話が穏やかになりました。
以前のように、「話しかけても返事が素っ気ない」とか「空気がギスギスしている」といったことがほとんどなくなった。
自然体で会話ができる。それだけで、家の中があたたかくなるんです。
不思議なことに、妻も僕の影響を受けて、株式投資を始めました。
最初は「わからない」「難しそう」と言っていたけれど、いまでは一緒に企業分析をしたり、「この銘柄どう思う?」と聞かれることもあります。
お金の話って、これまで夫婦間ではちょっとギクシャクしがちでした。
でも、投資を通じて「未来をどうしたいか」を一緒に考えるようになると、お金の話が“対立の火種”ではなく“共通言語”になっていったんです。
気づけば、昔のように一方的に任せきりにするのではなく、
「一緒に考える」「一緒に決める」関係になっていました。
夫婦って、ただ生活をともにすることじゃなくて、
「悩みも、希望も、分け合える存在でいること」なんだと思います。あの頃は、そんなことすら知らずに「俺は稼いでるんだから」と思っていた──
でも今、ようやく向き合えた気がします。
まとめ|「原因自分論」と「人に期待しすぎない」は、僕の人生を変えた

この黒歴史は、僕が妻に甘えすぎて、何も向き合わずに逃げていたという、どうしようもない過去の記録です。
「稼いでるから」「任せてるから」「信頼してるから」──
そんな言葉を盾にして、僕は家族とも、事業とも、ちゃんと向き合っていなかった。
今思えば、かつての自分の経営スタイルも同じでした。
「人が足りないのは仕方ない」「売上を維持しないといけない」「このやり方しかない」と思い込んで、現場を無理に回し、従業員にもどこかで“期待しすぎていた”んです。
でも本当は、「どう仕組みを整えるか」「どうリスクを避けるか」「自分が潰れたときに備えられているか」を考えるべきだった。
そういう“経営の責任”からも、僕は逃げていたのかもしれません。
障害を負い、家にこもり、投資に出会い、時間だけはたっぷりある中で──
ようやく「原因自分論」や「人に期待しすぎない」という考え方にたどり着いたとき、自分の人生そのものをようやく見直せた気がしました。
他人に何かを求めてイライラするくらいなら、自分が変わったほうが早い。
期待しないことで、自分に責任を取り戻し、相手への感謝も増える。
この感覚は、壊れかけていた夫婦関係だけでなく、過去の経営にも、もっと早く必要だったんだと今なら思えます。
このブログは、誰かに届くことを前提に書いているわけではありません。
これは何より、自分への戒めです。
今でも完全にうまくいっているわけじゃない。
時に迷い、不安になり、過去を後悔する日もあります。
でも、過去のせいにも、人のせいにもせず、
「自分がどうしたいか」に目を向けることで、ようやく少しずつ前を向けるようになりました。
──逃げない。人のせいにしない。期待しすぎない。
そんな自分を、これからも信じていこうと思っています。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
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